「毒親ではないけれど、なぜか親といるとしんどい」「本当は嫌いかもしれないけど、感謝もしているから言えない」…
そんな感情に葛藤を抱える人は少なくありません。
毒親の定義に当てはまらなくても、親子関係に違和感を持つことは自然なことです。
この記事では、「毒親じゃないのにしんどい」「嫌いと思ってしまう」理由とその背景、そして罪悪感との向き合い方を丁寧に解説していきます。
心の重荷を軽くするヒントとして、この記事を参考にしてください。
この記事でお伝えする要点を整理します。
- 毒親とは違う“しんどい親”の特徴と心理的影響
- 「嫌い」と感じる感情が生まれる根本的な理由
- 隠れ毒親・過干渉・放任主義との違いを整理
- 罪悪感を抱えながら自分を守るための具体策
Contents
毒親じゃないのに親といるとしんどい理由とは?

- 毒親ってほどじゃない親の特徴とは?
- 親といるのがしんどいと感じるのはなぜ?
- 毒親じゃないのに辛くなる心理的背景
- 親に感謝しているのに嫌いと感じる矛盾
- 母親が嫌い…大人になってから感じる違和感
- 父親に感謝しているけど正直苦手
毒親ってほどじゃない親の特徴とは?
「毒親ってほどじゃないけど…」という感覚は、多くの人が抱える親との微妙な距離感を表しています。
こうした親は、暴力や露骨な支配をするわけではないものの、言葉や態度で子どもの自立や感情を抑え込んでしまう傾向があります。
たとえば、過干渉すぎて子どもの選択に口を出しすぎる、感情を否定する「泣かないで」「考えすぎ」といった言葉を繰り返す、あるいは子どもを無意識に「自分の延長」として扱い、期待や理想を投影してしまうケースなどが該当します。
外から見ると“いい親”に見えるため、子ども自身がしんどさを自覚しにくいのも特徴です。
このような関係は“隠れ毒親”とも呼ばれ、本人も自分が苦しんでいることに気づきにくく、罪悪感やモヤモヤだけが残ってしまうのです。
親といるのがしんどいと感じるのはなぜ?
親と一緒にいると「どっと疲れる」「素の自分でいられない」と感じる人は、心理的に“緊張状態”を常に強いられている可能性があります。
このしんどさは、親との間に“役割”や“期待への応答”が無意識に刷り込まれていることが原因です。
たとえば、親の機嫌をうかがってしまう、何かと報告しなければならないプレッシャーがある、否定されないように話を選んでしまう──
こうした状態は「本音を出せない関係性」であり、たとえ暴力がなくても心がすり減ってしまいます。
また、「親を否定してはいけない」「感謝しないといけない」といった思い込みが、しんどさを“外に出せない圧”として蓄積されていきます。
結果として、自分でも理由がわからないまま、ただ“親といるのがつらい”という感情だけが残るのです。
毒親じゃないのに辛くなる心理的背景

親が“毒親”ではなくても、関係が辛くなる背景には「期待の押しつけ」「境界線の曖昧さ」「感情の否定」があります。
毒性という言葉が使われないレベルでも、親子の間に適切な“心理的距離”がない状態が続くと、精神的な負担は大きくなります。
特に、「あなたのためを思って」という形でコントロールされると、自分の判断や感情が“間違っている”ように感じさせられてしまうことがあります。
こうして育った人は、自分の感情を押し殺し、「親の期待に応えられない自分が悪い」と思い込むようになります。
また、親自身が無意識に「子どもはこうあるべき」という価値観を押しつけている場合、それに反する子ども側の個性は抑圧されてしまいます。
このように明確な虐待がなくても、関係性の構造そのものが“見えにくいストレス源”となっているのです。
親に感謝しているのに嫌いと感じる矛盾
「感謝してるけど嫌い」──この矛盾に苦しむ人は少なくありません。
親が自分のために尽くしてくれたことを知っている、育ててくれたことに感謝もしている。
それでも、一緒にいると疲れる、支配される、話が通じない…と感じてしまう。
この感情の背景には、「親は絶対に好きでいなければならない」という社会的な思い込みがあります。
その枠の中で「嫌い」と思うこと自体に罪悪感が湧き、感情と理性の板挟み状態になってしまうのです。
本来、感謝と嫌悪は両立して良い感情です。
「してくれたことには感謝している」「でも関係性はしんどい」──この切り分けができると、心が少し軽くなります。
母親が嫌い…大人になってから感じる違和感
子どもの頃は「優しいお母さん」だったのに、大人になってからなぜか嫌悪感や違和感を抱くようになった──そんな経験を持つ人は少なくありません。
これは、成長に伴って自分の価値観や感情が明確になったとき、母親との関係性の“歪み”に気づきやすくなるからです。
たとえば、「あのとき本当は傷ついていた」「親の期待に無理して応えていた」など、過去の“見えなかった痛み”が浮かび上がってくることがあります。
特に母親との関係は密接になりやすいため、適切な距離を保つことが難しく、依存や支配が長引く傾向にあります。
また、「母親は頑張っていたから」「悪気はなかったはず」と理屈では理解していても、感情は「嫌い」「もう関わりたくない」と正直に反応しているケースも。
このギャップに苦しむことこそが、しんどさの本質なのです。
父親に感謝しているけど正直苦手
父親との関係は表面的に「問題がない」ように見えても、内心では“近づきたくない”“関わると疲れる”と感じている人も多くいます。
特に昭和的な価値観を持つ父親の場合、子どもとの間に無意識の上下関係や支配構造が残っていることがあります。
たとえば、「こうすべき」「こうあるべきだ」と決めつけてきたり、自分の正義を押し付けることで、子どもの感情や選択を軽視してしまう傾向があります。
感謝している、育ててもらったことは否定しない──それでも一緒にいると“自分が否定される感じ”が抜けないのです。
このしんどさは言語化しにくく、「なんとなく苦手」「会いたくない」と感じる形で表れやすくなります。
それでも無理に“良い関係を築かねば”と思ってしまうと、余計に自分を追い詰めてしまうため、心理的距離を見直すことが必要です。
毒親じゃないけど「嫌い」と感じる感情との向き合い方

- 親がストレスでしかないと感じるとき
- 母親を人として嫌いと思ってしまう心理
- 親が嫌いと思うことに罪悪感を抱える理由
- 親が嫌いと診断される人の共通点
- 「母親が嫌い・長女だから我慢してきた」人の心の疲れ
親がストレスでしかないと感じるとき
「会うたびに疲れる」「電話が鳴るだけで気が重い」──親の存在がストレスの原因になっていると感じる人は、少なくありません。
その原因の多くは、親といると“無意識に役割を演じてしまう”ことにあります。
たとえば「いい子でいなければ」「機嫌を取らなければ」「話を聞いてあげないと」といった、自分に課した義務感が心を疲弊させるのです。
また、価値観の違いや言葉のズレが続くことで、親と関わるたびに「否定された」と感じてしまうことも。
それが積み重なれば、たとえ毒親でなくても、「関わりたくない」「もう限界」と感じるようになります。
ストレスを感じている時点で、あなたの心が「もう無理をしないで」とサインを出しているのです。
その声に耳を傾けることが、まずは第一歩です。
母親を人として嫌いと思ってしまう心理
「母親」という肩書きを外して見たとき、“一人の人間として無理”と感じる瞬間がある──これは非常にリアルな感情です。
たとえば、愚痴ばかり言う・感情をぶつけてくる・依存的で距離が近すぎる──
そんな母親に対して、「女性として・大人として尊敬できない」と感じたとき、その思いは“嫌い”という言葉で表れます。
社会では「母は無条件に敬うべき存在」とされがちですが、現実には相性や価値観の違いも存在します。
親子であっても、人間関係の相性はありますし、「好きになれない人間」としての母親像があっても不自然ではありません。
大切なのは、その感情を否定しないこと。
「母親なんだから好きで当然」という思い込みを手放すことで、自分の本音に優しくなれます。
親が嫌いと思うことに罪悪感を抱える理由
「親が嫌い」と感じた瞬間に湧き上がる罪悪感──これは、社会的な刷り込みと幼少期の経験によって強化された“思い込み”です。
「親は大切にするもの」「育ててもらったから感謝すべき」など、“親=絶対的な存在”という信念が日本では特に根強くあります。
この価値観の中で育つと、親を嫌う=自分が悪い人間という構図が無意識に定着してしまいます。
しかし実際には、感情に正解も間違いもありません。
「嫌い」と感じるのは心の防衛反応であり、苦しさから自分を守ろうとする健全な反応でもあるのです。
罪悪感を抱く必要はなく、「今の自分にとって距離が必要」と受け止めていいのだと、まずは自分に許可を出してあげてください。
親が嫌いと診断される人の共通点

“親が嫌い”という感情は、特定のパーソナリティや環境要因と関連しています。
以下のような共通点を持つ人は、親との関係にしんどさを感じやすい傾向があります。
完璧主義で自分を責めやすい
→ 親からの評価や言葉が強く残りやすい。
共感力が高く、他人に合わせてしまう
→ 親の感情に過剰に反応し、疲れやすい。
子ども時代に「いい子」を求められていた
→ 自己表現を控え続けてきた結果、親への怒りが蓄積している。
親が“無自覚な支配型”だった
→ 感情の否定や決めつけが日常的だった。
このような背景があると、「親=しんどい」「嫌いでも仕方ない」と感じるのは、ごく自然なことです。
「母親が嫌い・長女だから我慢してきた」人の心の疲れ
「長女だから我慢してきた」「母親を助けるのが当たり前だった」──そんな経験を積み重ねた人は、大人になってから深い疲れや怒りを感じることがあります。
これは、親との関係性の中で「役割」を背負わされ、自分の感情や欲求を後回しにしてきたことが原因です。
長女は「しっかり者」「妹・弟の面倒を見なさい」「お母さんを助けてあげなさい」と期待されることが多く、自分よりも他人を優先するクセが無意識に染みついてしまいます。
その結果、母親に対して「私ばかりが我慢させられてきた」という感情が、大人になってから爆発することも珍しくありません。
この怒りや疲れは「嫌い」という感情として表面化することが多く、「自分が冷たいのでは?」と罪悪感を抱いてしまいがちです。
しかしそれは、本来満たされるべきだった自分の感情がようやく声を上げたサインでもあります。
その感情を否定せず、ようやく訪れた「自分自身の人生」に目を向けてあげてください。
「毒親ではないけど問題がある親」の正体とは?

- 隠れ毒親チェック|表面上ではわからない親の特徴
- 過干渉と毒親の違いを整理しよう
- 放任主義も毒性を持つ?その境界線とは
- 日本における“毒親予備軍”の割合とは?
- 毒親は男女どちらに多い?傾向と背景
隠れ毒親チェック|表面上ではわからない親の特徴
“隠れ毒親”とは、一見すると普通の親に見えるものの、心理的な支配や感情的コントロールによって子どもを追い詰めている親のことです。
周囲からは「いい親」「立派な親」と見られていることが多く、子ども自身も「自分がおかしいのでは」と感じてしまうケースが少なくありません。
チェックポイントとしては以下のような特徴が挙げられます。
- 「あなたのため」と言って選択を奪ってくる
- 感情を否定する言葉が多い(例:「それは考えすぎ」)
- 他人の前で“いい親”を演じ、家庭内とのギャップが大きい
- 過去の恩を繰り返し持ち出す
- 子どもの行動を常にコントロールしたがる
このような親との関係は、明確な暴力や罵倒がなくても、子どもの自由や心をじわじわと蝕んでいく可能性があります。
違和感に気づいた時点で、十分に“距離を取る理由”はあるのです。
過干渉と毒親の違いを整理しよう
「過干渉」と「毒親」は似ているようで少し違います。
過干渉とは、子どもの行動や思考、感情にまで過度に関与し、自由を奪ってしまう状態を指します。
たとえば、進路・交友関係・服装・恋愛まで口を出す、「それはこうしなさい」と指示しないと気が済まない、小さな失敗も許せず先回りして排除しようとする──
これは「親の不安を子どもに押しつけている」状態とも言えます。
一方、毒親はこの過干渉に加えて否定・攻撃・支配・人格否定などが含まれるのが特徴です。
つまり、過干渉は“毒親の一側面”であり、単体でも苦しいが、さらに強度の高い関係が“毒親”といえます。
過干渉が続くと、子どもは「自分で考える力」「決める責任感」「安心感」を失い、自己肯定感が下がっていきます。
放任主義も毒性を持つ?その境界線とは
一方で、「うちは放任主義だったから楽だった」と語る人の中にも、実は“見捨てられ体験”に苦しんでいるケースがあります。
放任主義とは、子どもの意思を尊重するという建前のもとに、関与やサポートを極端に避ける育て方を指します。
たとえば、「自分で決めなさい」と突き放すだけで助言もフォローもない、困っていることに気づいても「自分の責任」として放置する──
このような態度は、“自由”ではなく“無関心”として受け取られることがあります。
放任と尊重の違いは、そこに「見守り」と「必要なときの介入」があるかどうかです。
関係が希薄すぎて、子どもが「どうせ何を言っても無駄」と感じる状態は、愛着や信頼の形成を妨げます。
つまり、放任主義も度を越せば“感情的ネグレクト”としての毒性を持つのです。
日本における“毒親予備軍”の割合とは?

近年、「毒親」という言葉が浸透したことで、実際に自分の親が該当するのではと感じる人が増えています。
とはいえ、明確に「毒親」とされる行動だけでなく、“グレーゾーン”にいる親も少なくありません。
ある調査によると、日本の成人の約4〜5割が「親との関係に何らかの不満やストレスを感じている」というデータがあります。
そのうち、明確に「暴力」「モラハラ」「人格否定」などに該当する割合は1〜2割程度とされますが、“毒親予備軍”として、支配・過干渉・放任・感情操作などを日常的に行っている親は、さらに多く存在します。
日本は「家族は大事にすべき」という風潮が強いため、このような親に苦しんでいても“問題化されにくい”という背景もあります。
毒性の強弱ではなく、「自分にとってしんどいかどうか」が判断基準で良いのです。
毒親は男女どちらに多い?傾向と背景
毒親に「女性が多い」「母親が多い」と言われる理由には、育児や家庭における“役割分担”の問題があります。
特に日本では、子育ての責任を主に母親が担う家庭が多く、「支配」「過干渉」「感情的な介入」といった毒親的行動が母親側に出やすくなっています。
一方、父親も「無関心」「威圧的」「経済的支配」といった形で毒性を持つことがあります。
特に父親の毒性は“距離があるからこそ深く傷つく”ケースも多く、「話が通じない」「恐怖で口を開けない」といった関係になりやすいのです。
つまり、毒親は性別で分けるものではなく、その家庭の力関係や感情表現のクセによってどちらでも起こりうるというのが本質です。
毒親育ちじゃなくても自分を守るためにできること

- 毒親育ちの人の5つの特徴との共通点
- 親との距離を見直すステップと心理的ケア方法
- 「親を嫌いでもいい」と許可するための思考整理
毒親育ちの人の5つの特徴との共通点
自分の親は毒親ではないと思っていても、「毒親育ちの特徴」と共通点があると気づくことがあります。
それは、親が“明確な悪意”を持っていなくても、結果的に子どもに強い影響を与えていたという証です。
毒親育ちに多い特徴は、以下のようなものがあります。
- 自分の感情に鈍感になっている
- 自己肯定感が低く、常に「自分が悪い」と思う
- 人間関係で過剰に気を使ってしまう
- 親に褒められた記憶があまりない
- 「いい子」「しっかり者」と言われ続けてきた
これらの傾向がある人は、親との関係を“毒かどうか”で判断せず、「しんどさ」があったかどうかで振り返ることが重要です。
親との距離を見直すステップと心理的ケア方法
親との関係にモヤモヤを感じたら、まずは「距離感の見直し」から始めてみましょう。
物理的な距離ではなく、心理的な「接し方」「反応の仕方」を変えることがポイントです。
具体的なステップは以下の通りです。
親の言動に自動で反応しない
→ 無理に同調・反論せず、まずは「そうなんだ」と流す
会話の頻度や長さを調整する
→ 長電話が疲れるなら5分で切るなど、自分のペースを守る
話していいこと・話したくないことを明確にする
→ 境界線を決めることで安心感が生まれる
モヤモヤしたら書き出して自分の気持ちを可視化する
→ 客観視することで整理と癒しが進む
“距離を取る”ことは冷たいのではなく、自分の心を守るための優しさです。
この視点を持つだけでも、心の疲れ方が変わってきます。
「親を嫌いでもいい」と許可するための思考整理

「親を嫌いになってはいけない」と思い込んでいる人は、それだけ“親から認められたかった”という深い願いを抱えてきた証拠です。
しかし、親子関係も人間関係の一種。
相性が合わないこともあれば、距離を取るべきこともあります。
まずはこう自分に問いかけてみてください。
「私は誰のために“いい子”でいようとしているのか?」
「その我慢は、今の私を幸せにしているか?」
「嫌いと感じる気持ちに、理由はいらないのでは?」
「嫌いと思ってしまう自分はダメだ」という声に蓋をせず、「それでもいい」と肯定することが回復の第一歩になります。
親を好きでいられない自分も、自分の一部として受け入れてあげること。
それが、これから自分の人生を歩いていくうえで必要な“自立”につながっていきます。
まとめ:毒親じゃないけどしんどい親との向き合い方とは?
この記事の内容をまとめます。
- 「毒親ではないけどつらい」は多くの人に共通する悩み
- 表面的には“いい親”でも心理的支配を感じることがある
- 親といると緊張したり、素を出せないのは心の防衛反応
- 親の期待や価値観に合わせ続けてきた人は疲れやすい
- 感謝しているけど嫌いという矛盾を抱える人は少なくない
- 嫌いと感じるのは、自分の感情が目を覚ました証
- 母親との密着した関係がしんどさの元になることもある
- 父親に対しては距離のある威圧感がストレスになりやすい
- 親との会話で疲れるなら、それは見直すサイン
- 「母親を人として嫌い」と感じることにも理由がある
- 親を嫌うことに罪悪感を抱く必要はない
- 感情はコントロールではなく“受け入れ”が回復のカギ
- 毒親と断言できなくても、隠れた毒性を持つ親は多い
- 過干渉や放任など、親の関わり方が毒になることもある
- 日本では“親を大事にすべき”の価値観がしんどさを助長
- 母親に毒性が集中しやすいのは役割構造のせい
- 父親は無関心や支配型になりやすく、傷が深くなることも
- 自分を守るために、心理的な距離を取ることが必要
- 親を好きでいられない自分も認めてあげていい
- しんどさに名前をつけ、安心できる自分との関係を築こう